I LOVE ME 絵本『ええやん そのままで』(トッド・パール 作 つだゆうこ 訳 解放出版社)を読んで

ええやん そのままで

はじめてコマ(補助輪)なし自転車に乗れるようになったのは、ようやく小学校3年生のときだった。まわりの友だちは、すでにスイスイ乗っていたのに。運動神経はもともと鈍いのだ。だから、小学校のときの体力測定では、50メートル走も鉄棒も、いつもぼくだけが女子のグループに入れられていた。ちょっと太っていたから「ブタ」なんていわれていたような気もする。級友たちを前にして、教壇で『ガリバー旅行記』を朗読しながら、こらえきれずにオシッコをジョボジョボ漏らしてしまったのもそのころだった。
そんな、今となってはなつかしいけれど苦い思い出は、数知れずある。
『ええやん そのままで』を、読むというよりは眺めながら、ぼくはそんなことを思い出していた。

50年も前に、この絵本のメッセージがぼくに伝わっていたら、どれほど癒されていただろう。どれほど早く立ち直ることができたことだろう。
「足が遅うてもええやん」。(本文では「ええやん みんな マイペースで ゴール」)
「自転車に乗れんでもええやん」「たまにはオシッコ漏らしてもええやん」。(本文では「ええやん はずかしくても それ オッケー」)
「ちょっとぐらい太っててもええやん」。(本文では「ええやん ちいさいのも まんなかのも せが すごーく たかいのも ほら わたし」)
…ああ、どれほど嬉しかっただろう、と。

「ええやん」というのが、すごくいい。
「いいじゃないか」や「いいじゃないの」ではなく、あえて「ええやん」という関西訛を、使っているのだろうが、そこに、できるだけ「上から目線」ではなく、「水平目線」で共感する、許容するというメッセージを伝えたいという訳者の意思があるのだと、ぼくは勝手に思っている。
「It’s okai to be proud of yourself」を、訳者は「ええやん わたしは わたしの ことが すごく すき」とした。このページは、本書に込めた訳者の心からの思いが、すばらしい翻訳と美しい日本語で表現されている。

本書を手にし、眺める人の多くは、ぼくのように過去を振り返るのではないだろうか。そして、「ああ、あれでよかったんだ」と、あらためてホッとするだろうと思う。そんな絵本だ。
もちろん、子どもに読み聞かせるのもいい。だが…
『ええやん そのままで』は、絵本というものが、けっして子どものためだけにあるのではないということを、あらためて教えてくれる一冊である。

(うきあなまさひろ)